2005年08月31日

関東大震災(2)

 東京市長だった永田青嵐には34句もホトトギスに発表させた、と磐井さん。
 主題詠とは評価しなかったのかも、と。
 ともあれ、虚子の、写生はこういう時に役に立つ、とはわからないのは、磐井さんと同じ。
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2005年08月30日

関東大震災

 虚子は句を詠まなかった、と磐井さん。
 殺風景で、ろくなものができそうがない、とは、阪神大震災でもいろんな句が詠まれたのに、とのみ思う。
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2005年08月29日

紀行吟

 紀行は場の統一であっても、意識の統一ではないから、近代的な主題詠とは違う、と磐井さん。
 一句でも成り立ち、季題が主でなく、主観的な感動が動機で、異なる、と。
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2005年08月28日

主題詠作法

 あらかじめ雰囲気を予測して、制作を意識の支配下に置こうとする制作方法、と磐井さん。
 題詠で一題十句では、同じ題が登場し、類似する、とも。
 しかし、連作、群作が、近代雑詠でも、主観的な動機で意図的に行なわれる、と。
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2005年08月27日

全人格的な評価

 題詠ならば作家の才能が評価されるにとどまるが、総合的な評価は、一種の全人格的評価として受け取られることになる、と磐井さん。
 一句の成立が、主観的な事件や感動が動機になる、とも。
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2005年08月26日

新題

 以前は選者が提出したので、作者には自由がなかった。
 近代雑詠になってから、自分の句にふさわしいものを作ることも可能になった、と磐井さん。
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2005年08月25日

評価法も変わる

 自由に俳句を詠み、後で題がついてくる。虚子の題詠や吟行とは違ってくる、とも磐井さん。
 同じ題でなく、違った題での比較となり、総合的な評価で複雑な時代に、とも。
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2005年08月24日

近代雑詠の特徴

 題は与えられるものでなく、自分で選択するものになった、と磐井さん。
 吟行もあったと言えど、決定的に違う、と。
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2005年08月23日

第2期雑詠

 20句、と磐井さん。題詠が一題十句。
 雑詠といいながら題詠で応募した例もあり、と。
 近代雑詠では、5句。
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2005年08月22日

雑詠の開始

 碧梧桐が始めたが中断、虚子が復活、と磐井さん。
 年間作品を一挙に発表する方法、というところが、現在と全く違う、と。
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2005年08月21日

題詠

 明治の俳句は、俳句雑誌が題を予告したものでないと、普通の会員は発表できなかった、と磐井さん。
 選者クラスは雑吟が可能だった。現在とは違う。
posted by 木村哲也 at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

雑詠作法

 虚子は雑詠に投句の経験はない、と磐井さん。
 創始者であるから、当然とも言え、しかし違うものは違う、と。
 独特の「欠如」も、という指摘が興味深い。
posted by 木村哲也 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

一題十句

 玉藻と句日記では制作順序の違いもあるが、頭の中で「一題十句」が行なわれていたのは確かで、実景は背景に引っ込み、言葉ないしイメージが浮遊、と磐井さん。
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2005年08月18日

帚木

 虚子の自己鑑賞を知らずに、山本健吉が鑑賞を書き、かなり違う、と磐井さん。
 現代小説の「作者の死」のような立場からすれば、別にかまわないのではないか、と愚考。
 作者が偉い、優先する、という立場でなければ、まあありかという気もする。
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2005年08月17日

健康は危機的ながら

 俳句復帰に際して、虚子は、吟行がなかったので句会、それも運座(十題十句)と一題一句の句作法で、「句日記」時代とほぼ変わらず、と磐井さん。
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2005年08月16日

句日記以前も

 ほぼ句日記のような様子だった、と。
 題詠中心の句会、そして、吟行と、虚子の俳句作法論で書いたとおりの方法で進む。
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2005年08月15日

句日記

 日記ふうの虚子の俳句記録。
 それ以前は「近詠」で。
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2005年08月14日

吟行は

 磐井さんいわく、「余りにも碧梧桐の真摯なあり方とは違った写生の姿」ながら、やがて制度化して、好ましい師弟の和合の場になった、と。
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