2006年03月15日

現代性

 広岡丘房の評論が磐井さんによって引かれているが、ここでは略し、13句引かれた中から、またあえて名は落として、印象に残ったものを掲げる。

一杯 心得て出るお茶がわり
デート 猫も負けずに屋根の上
時計遺品悲しい時を指し
ずるずると憎い男の飯を炊き
母 いつの間にやら小さくなり
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2006年03月14日

切れの重要性

 川柳と違って、滑稽な句ばかりではなく、十分、俳句に対峙できる、と磐井さん。
 それには、表題のようなことも、とあって、5人から各1句を引いているが、あえて名は落として3句をここに。

ないのです払わんと言わない
パパのバリカン半泣きの虎
毛皮の中にツンとした顔
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2006年03月13日

豊田一松『淡路はいかい膝栗毛』から

 磐井さんが14句選んだもののうち、小生が特に好むものを、作者名はあえて落として引く。

汗拭いて また汗になるものを飲み
らしいなあ この底冷えはどこか雪
春の雨 石もふくらむ様に降り
蝶の仏に何をささやく
あきらめておりますと目に露
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2006年03月12日

雅交会点頭句から

 滑稽句でないことに注目、と磐井さん。なお、作者名はあえて略した。

につこりと 女給冷めたい手を委せ
車内を泳ぐように改札
何を求めるための口紅
歌手夢見て双児育てる
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2006年03月11日

戦場の句

 耕人の句から。出征で戦没、と磐井さん。合掌。迎合しないリアルな描写、とも。

戦争 尊い赤い血を流し
抜け目なし 支那兵獲物持って逃げ
最後を綴る血書泣かせる
破れを見せたゲートルの皺
弾の中 咲き匂う撫子
訓示聞く 緊張のあご紐
塹壕の夢 消した銃声
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2006年03月10日

最優秀句

きつく優しくしばる花の荷

 服部南枝の句。二ツ折(キシ)であることを感じさせない天衣無縫さは、露骨で野卑な雑俳のイメージを正す、と磐井さん。
 暗示的な内容は、しつけや結婚生活か、とも。
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2006年03月09日

女流作家

 少ない女流から美里軒(びりけん)の句。

懇ろに 枝葉をまわる松の内
筍がでかけとる店先
喜んで春へ春へと運ぶ針
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2006年03月08日

作品評価

 淡路雑俳の起源などのところは、あえて飛ばす。
 まとまって作品が掲げられているところから、個人的に印象に残ったものを引く。
 まずは清阿弥。

指の股からのぞく嘘泣き
話せば愚痴になりますとうなじ垂れ
からりころり 口三味線とすれちがい
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2006年03月07日

句切れ

 五七五より七五五が緊張して聞こえ、七七は簡潔で、五四四は婉曲で、十四音を長く思わす、という説明を引いている磐井さん。そういうものか。
 で、いろいろな句切りをする人がいたようだが、五四四という新しい定型が生まれた、と。
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2006年03月06日

淡路雑俳の実例

 律がいろいろである。なお、例によって(?)スペースは勝手に(?)詰めた。

シフカ
暫くは船も動かず霞む海   五七五
春風暖風芽ぐむ山霞む野辺  七五五
ヨク
世の変遷に狂ふ政海     七七
陽気増す郊外の情調     五四四
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2006年03月05日

淡路雑俳

 冠句と折句だけでできている、と磐井さん。
 折句は語頭に指示された字を詠み込むが、三ツ折(長)だけでなく、独特の七七による二ツ折(短)もあり、野心的な試みも多い、とも。
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2006年03月04日

狂俳と冠句

 久佐太郎以外の人の冠句の意見は、あえて飛ばす。
 で、狂俳では、冠題の持つ意味を重要視し、てにをはにも細心の注意を、という感じながら、冠句では違う、という他の人の意見を引いている磐井さん。
 で、雑俳は統一せず。
 近代化した正風冠句の興行的句会もあまりないことを確認して、明日から、淡路雑俳へ。
 
posted by 木村哲也 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

別の句の鑑賞(4)

 冠題を重層的に活用するのは冠句だけの専売特許ではない、と磐井さん。
 だが、形式が新しい思想・内容を作り出すとは言える、とも。
 久佐太郎の後継者は、実作を伴った主張を展開しているとも。
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2006年03月02日

別の句の鑑賞(3)

 冠句と附句との関係は三味線と唄の如しで、つかず離れず、暗示文学の中でも最も暗示的、という久佐太郎を引いている磐井さん。先で、批判もしているが。
 表面的に五七五がつながるのでなく、内面的につながることに意味があるのが、川柳や俳句との違い、とも久佐太郎。
posted by 木村哲也 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

別の句の鑑賞(2)

 花といえば桜だし、そもそも高く見上げるのだから、スミレなどではない、という趣旨の久佐太郎の説明を引いている磐井さん。確かに。
 さらには、詠嘆的口調で花を見上げた主人公の気持ちもうかがい知れる、とも。
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2006年02月28日

別の句の鑑賞(1)

高々と花を仰げば昼の月

 形容詞「高々と」は、第一段で「花を仰ぐ」、第二段では「昼の月」にと、二様の働きをしていると、久佐太郎が言っている、と磐井さん。
 形容詞ではなく、副詞か、と愚考。
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2006年02月27日

冠句の具体的な技術論(4)

 この句の最後に至り、磐井さんが、久佐太郎は演劇の専門家、と。
 で、久佐太郎は、省略が冠句の本質、なぜなら冠題に五文字で、十二文字しかないから、と。
posted by 木村哲也 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月26日

冠句の具体的な技術論(3)

 一段落飛ばす。
 近代劇の構成法とよく似て、幕開きと同時にクライマックスに立っている、という趣旨のことを、久佐太郎が述べているのが、磐井さんによって引かれている。
 すごい比較の視野。
posted by 木村哲也 at 04:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月25日

冠句の具体的な技術論(2)

 続く部分は、久佐太郎を引用した磐井さんを、あえて孫引きする。
 「省略された句に合間に説明文字を嵌めてゆくと、(娘が)(母に)(縁談を)勧められ(て)(その婿となるべき候補者の)写真(をみてゐるうち)に(娘は)(この写真とは)別な影を(心の中で)追ってゐた」
 創作にも鑑賞にも、冠句を越えて大いに参考になると愚考。
posted by 木村哲也 at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月24日

冠句の具体的な技術論(1)

勧められ写真に別な影を追い

 スペースをあえていつものように詰めて小生が引用した、久佐太郎の考察を磐井さんが引いている句である。
 主語(誰が)もなければ、副主格(誰に)も目的(何を)も、三つの主な要素が除かれているが、省略法が成功し感銘をひく、という久佐太郎の意見が引かれている。
 まずここに、なるほどと思った。
posted by 木村哲也 at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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