2006年02月23日

久佐太郎語録(4)

 子規などが写生を重視したのは、観察眼と叙法の訓練であって、一過程に過ぎない、という趣旨を引いている磐井さん。なるほど。
 冠句は、句の後ろに、人生に対する作者の心の目が澄んでいなければならない、とも、久佐太郎。
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2006年02月22日

久佐太郎語録(3)

 夏目漱石が徳田秋声の作品を評して言っていることは、人生観や人生批判のないことだ、そのことは、川柳や冠句も同じだ、と久佐太郎は言っている、と磐井さん。
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2006年02月21日

久佐太郎語録(2)

 滑稽や皮肉な句も結構だが、落首や狂句の程度を越えなければ、と磐井さんの紹介。
 「作者のの魂を裏漉しにかけたものでなければ有り難くない」。
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2006年02月20日

久佐太郎語録

 断片的ながら掲げる、と磐井さん。
 「冠句の習得は人間の連想力を豊富ならしめる」
 確かに。
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2006年02月19日

古い冠句の復活

 久佐太郎は、新しい冠句ではないと言っている、と磐井さん。
 新古典主義、本然の姿に戻れ、とも。
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2006年02月18日

直冠体

 久佐太郎が推す、と磐井さん。
 「ものは体」でも「接続体」でもなく、冠題を直接つけるもの、と。
 例は、例によってスペースなしで引く。

飛び越えて野川の底に空を見る
飛び越えて鮎また梁へつき当り
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2006年02月17日

久佐太郎の避けたもの

 第一に「ものは体」、と磐井さん。そこの割れたもの、と。例は「おもしろさこたつからみる雪見酒」(常時、あえてスペースは詰める)。
 第二に「接続体」、と。( )で、冠題を付句で説明したもの、と。例は「こちらから(云ふて)のけたい話下手」。
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2006年02月16日

冠句は題詠か?

 俳句や川柳にも題詠はあるが、冠句の冠題の飛躍ははるかに大きい、と磐井さん。
 久佐太郎は「題詠的創作吟」と言っていた、と。「題詠」というより「雑詠」だから。
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2006年02月15日

現代冠句論

 久佐太郎だけが、雑俳関係でただ一人文学的理念を追求した、と磐井さん。
 ゆえに、子規と比較してもかまわないと。
 具体的には明日以降で。
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2006年02月14日

久佐太郎の功績

 冠句の改革として、自らの創作活動、活動の拠点に「文芸塔」を作り、後継者を養成した、と磐井さん。
 一人の活動としては子規並み、とも言っているが、創作者自らの批評が珍しいとも。
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